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2017年12月18日

"The Water & The Blood/Wine" thing And "The Covenants"

I have read many books dealing with "The Blood", and learned a lot but this is incrediblly vast and deep to really get the kind of undertanding....  And I haven't yet come across any explanation about "the Water and the Blood" that is easy enough. Leaders seem to know a lot but aren't explain it to lay people....

   The books I have regarding this are:

  In my previous article, "", I have found out the First mention of "pour (blood)" was in Exodus4:9, which reads;
🔹EXODUS 4:9
9.  And it shall come to pass, if they will not believe also these two signs, neither hearken unto thy voice, that thou shalt take of the water of the river, and pour it upon the dry land: and the water which thou takest out of the river shall become blood upon the dry land.
   出埃及記(出エジプト記) 第四章
9. 彼らもし是ふたつの徴をも信ぜすして汝の言に聽從はざるならば汝河の水をとりて之を陸地にそそげ汝が河より取たる水陸地にて血となるべし


And it reminds us of our LORD Jesus's First miracle at the wedding in Cana (Jn 2:1-11), which reads;
🔹JOHN 2:1-11
 1.  And the third day there was a marriage in Cana of Galilee; and the mother of Jesus was there:
 2.  And both Jesus was called, and his disciples, to the marriage.
 3.  And when they wanted wine, the mother of Jesus saith unto him, They have no wine.
 4.  Jesus saith unto her, Woman, what have I to do with thee? mine hour is not yet come.
 5.  His mother saith unto the servants, Whatsoever he saith unto you, do it.
 6.  And there were set there six waterpots of stone, after the manner of the purifying of the Jews, containing two or three firkins apiece.
 7.  Jesus saith unto them, Fill the waterpots with water. And they filled them up to the brim.
 8.  And he saith unto them, Draw out now, and bear unto the governor of the feast. And they bare it.
 9.  When the ruler of the feast had tasted the water that was made wine, and knew not whence it was: (but the servants which drew the water knew;) the governor of the feast called the bridegroom,
 10.  And saith unto him, Every man at the beginning doth set forth good wine; and when men have well drunk, then that which is worse: but thou hast kept the good wine until now.
 11.  This beginning of miracles did Jesus in Cana of Galilee, and manifested forth his glory; and his disciples believed on him.


  This also is when the Water turned to Wine (though not Blood here).

... Now, I sometimes make myselfears quite open to any secular researches and information as far as it is neutral and not demonic, but keep it in a "not yet solved"-folder of my mind.... (Do you do the same?)

   In our time where what we can eat and drink are so damaged that it has been a grave health problem, and  I chose some of the Youtubes dealing with "Water."  And when I was playing Vinnie's "PURE WATER - THE ILLUMINATI'S BIGGEST SECRET!"(https://youtu.be/03MXe8IM1Kc) as my hands were in the kitchen sink, I noticed them talking about water should cleanse even our body organ. The pure water is the cleansing medium. And I ws also thinking about the Blood at the same time because I wanted to know something("anything"!) that might help me understand more solidly about these miracles in our Bible, as well as the faculties of both medium at work even separately as well... So I thought the way our blood is cleansing our body every moment. It also cleanses our body.
I am not writing this after "thorough and extensive researches"...but making this as an article,leaving the thorough findings for the following days.
Back to this Youtube, "PURE WATER - THE ILLUMINATI'S BIGGEST SECRET!", the researcher was explaining that water carries minerals ("inorganic"). It is through an organic body that turns them into organic living substance.
   I will leave the rest of examination to the following days, but .......

The Water turns to the Blood, or the Wine, not vice versa.
   And if both cleanses our body ( thus the organic Temple cleansing!), but what was Water tuurns to Blood/ or Wine.
   Do you think I'm quite right in thinking that the cleansing medium called Water ,which carries minerals, is this not the TYPE of the Mose's "Law" (=The Old Covenant), and the Blood/Wine being "Grace", the Living Organic (as in our Temple now) (The New Covenant)??? ...that's because we need both The WORD & The SPIRIT for cleansing, nourishing, and for justification?

   And this researcher was saying that if the water we drink was "clean" it will not conduct harmful energy, & conducts only healthy, good energy; but if the water was not clean, , our body tends to conducts all the harmful eneriesy such as from the Scaler weapons and WIFI energy...
   This is almost like taking the clean water is the blessings such as in the first half of the Deuteronomy Ch.28, or Psalm119, and taking the unclean water is like when we are violating the Law, described in the last half of the Ch.28.... ?


   I shall post this now, but go to check if I can take all the Blood teaching books easy or not... If I could, I shall add the list in this article later....

Then, see ya, with much love to the Saints in the World out~!



  

2016年04月08日

[15日追記アリ]Beast Out of The SEA&EARTH/Trafalgar Sq.&Times Sq.のバールの神殿

made2 s.png[15:08 1st,Nov.,2016]: :その後、予定を変更した後、TimesSq.ではなく、代わりにマサチューセッツnpサタニスト教会のサーレムに何かそれに当たるものを立てたそうですね。

pade2 s.png[23:42 13th,April,2016]: この記事で書いたところの New York Times Square での神殿レプリカはキャンセルされたことが今朝確認されました @Perry Stone Live this morning & Rense Radio 

badjt3 s.png[14日午後追記] が、Londonは中止していないそう。その後NYの方をどうやるかだそう(Londonの続きとして一番良いシナリオを、という風に聞こえましたよね。)。
oadjt3 s.png[21:58 15th, April, 2016]追記: この色。



A Beast Out of The Sea & A Beast Out of The Earth
WITH
"The Evil Temple of Baal Replica" By Nancy Neeter on Rense Radio

   Trafalgar Sq.&Times Sq.のバールの神殿(+1,000ケ)(日本では何所ドコですか?)は、エルサレムの『第三の神殿』のための布石だそうですね。
   
  テンプル・マウントには、ドームやアル・アクサを破壊せずにそのままにしておいても第三の神殿は建てられるらしい事は既に報告されていましたよね、[Added on 10thApr2016:]ドームを無くさない限り聖書的には不可能だという意見もあります。そこに、モスクと神殿だけではなく、カトリックの教会か何かも立つ可能性があるそうですね。

  ここ(リンク先)でニーターさんが語られているのは、バールの神殿を世界中に建てるための布石というか第三の神殿建設に必要なプロセスらしいということは、三大一神教がオリブ山で、他の宗教がバールの神殿を使う形でNWOにするのか、もしくはエルサレムの三大宗教が既にエキュメニカルですから、そこも他宗教全てのためなのか、ですが、私はバールもめー損も詳しくないので、詳細は省きます。

以下が、バールの神殿の一連の画像と、情報リンクのページです:

  & NYとLondonのバールの神殿のアーチは中国製らしいですね。鳥居(というより)中華門の形にも見えますが。

  バールもめー損の信仰もあちらの事には詳しくないのでその辺については詳しく説明出来ませんが、  
関連して、
Revelation Ch.13:
13:1の
"And I stood upon the sand of the sea, and saw a beast rise up out of the sea, having seven heads and ten horns, and upon his horns ten crowns, and upon his heads the name of blasphemy."
(フリーズして自分の『コピペできる聖書サイト』にさえアクセス出来ていないので、今手で読んで打っていますので、打ち間違えがあれば後程修正いたします。)

13:11=
"And I beheld another beast coming up out of the earth; and he had two horns like a lamb, and he spake as a dragon."

と、一節目に「a beast rise up out of the sea」とあり、
11節目には「another beast coming up out of the earth」となっています。
  以前英国でメサイアニックの先生の集まりで習ったことがあることに関連するのですが、その先生によると、聖書のタイプというかシンボルとして、
"sea/ocean"  と"land/earth"の対比があり、
前者 "sea/ocean"の場合は、「Gentile」を指し、対して、
後者 "land/earth"が「イスラエル」のことだそうです。

  リンク先の番組では、イスカリオテのユダについても触れられていました。
私がずっと何度も各所から聞いていた『イスカリオテ』の指すところだと、単に、「他は皆田舎者の素朴な出の使徒たちなのに、ユダは都会人だった、」など、説得力が余り無かったものだったにも拘らず、他の解説が出てこないので、一応わだくすの頭の一時ファイル扱いだったのですが、
今回の情報が、一時ファイル期終了の運びとなるのではないでしょうか。
  つまり、この方[=Ms. Nancy Neeter]さんの調査を追ってチョロリと検索しただけでしたが、沢山出て来ますね。それによると:
イ スカリオテはクリオスというモアブ人の都市らしいですね。ですので、再確認前段階ですが、あのユダがモアブ人であった可能性があるのですが、詳細を待たず とも、というか、何人(=なにじん)であってもモアブ人でも何であっても本物の信者になれるわけですから、重要なのはイスカリオテのユダが機能上どういう 働きの人物だったのか、と いう点です。ユダは、主イエスがそれも知って選んだ一人ですが、一緒の活動中にも本物になる信仰が育たず、時至ってサタンが入っただけではなく、最初から 機能上は『潜伏者』であり、いわば、その後の信徒の集まりの象徴というか型でもあったのかも知れず、その意味では、後世の皆の教育的な目的もあったのかも 知れないですね。(故David Mayer牧師さんが頻繁に仰ってましたが、「20人集まったら、既に潜伏が一人入っていると思え」、と教えられた、とか。)

  もし、このゲストのNeeterさんの意見のように、イスカリオテのユダに反キリストの手掛かりとなる共通点や情報があったとしたなら、思い出すのが、この黙示録13:1&11部分です。:

黙示録13:1の"sea/ocean"に対比される
13:11の"land/earth"は、イスラエル、というよりは、
Gentilesに対するところの広義に『セム族地域』とすれば、
二番目の獣がセム地域からの者なのかもしれませんね。

bade1 s.png[8th,April 14:15-ish追記] : イスラムのSunni派という方のが、イスラエルのDan族だったという情報もありましたね。
なので、もしこのスンニ派からであれば、Revelation13:1、11の「land/earth」が、広義に「セム族から」、となり得るのかを待たずとも、「land/earthがイスラエルを指す」でも良くなりますね。
oadjt3 s.png[15日]ドイツにDan族の姓名の人が多いということから、Dan族はドイツに行った、という説も強かったですが、コーカシアンのドイツ人ではない中東のドイツ人の多くがDan族ということなのでしょうが、スンニ派の多い中東諸国からのドイツ移民が多いのも、重なってきますね。
では。

また下痢のような音のヘリコプターが来ますた。@15:23
また来ますた。@15:25
また来ました。@15:28
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2013年12月02日

【転載】『...詩篇52:1〜9』【見つけた説教】

転載記事: インターネットで見つけた説教から

↓とても良い説教です。

http://www5.ocn.ne.jp/~akiru-ch/130602sekkyou.htm

2013年6月2日「どちらが成功者で、勇者なのか」詩篇52:1〜9

序−自分が関わることにみな自分の責任を覚える人、権謀術数を駆使し要領よく立ち回り出世をする人、そのどちらが成功者と言うのでしょうか。祭司たちの悲劇を自分のせいだと言うダビデ、その悲劇を画策してキャリヤを築こうとするドエグ、どちらが成功者であり、勇士なのでしょうか。

T−どちらが成功者で、勇者なのか−表題〜1 
 詩篇52篇は、表題のように、エドム人ドエグとダビデが関係した事件が背景となっています。ドエグは、サウル王に仕えていた勇士です。Tサムエル21:7。ダビデもサウル王の勇士でしたが、サウル王に妬まれ追われていました。Tサムエル16:18。ダビデが逃げていた時、ノブの祭司アヒメレクに助けてもらいました。それをドエグが見ていて、サウル王に告げ口したために、祭司たち及びノブの町のものすべてが、サウル王の命令によって惨殺されるという事件が起こりました。Tサムエル22:9〜19。ドエグは、サウル王に認めてもらうためには、人助けをした祭司を犠牲にし、誰も手をくださない祭司殺しまで平気でする人でした。とても勇士だとは言えません。
 この詩では、ドエグのような者を一般的な悪者、ダビデような者を神様に従う正しい者と言って、その生き方、価値観を対比しています。まず、悪者に対する警告です。1節。「勇士よ」と言うのは、知恵も力もある有能な者という意味です。ドエグのような陰謀と中傷をもって権力を得、平気で残虐なことをする者が、本当の勇士、知恵ある者はどういう人なのか、と問いかけているのです。人は、知恵と力を悪用して、人を妬み、落とし入れ、富と権力を得ようとします。正しい者を害することをして、気分を良くするのです。後ろでサタンが操縦されているのです。
 その時、ドエグがサウル王に認められ、出世し、一方ダビデは、頼る人たちがいなくなり、ますます苦しい逃亡生活ということになりました。そんなダビデを見て、ドエグは誇ったのでしょう。肉と欲の原理で生きる者が、人を騙し、陥れ、陰謀と中傷をもって出世し、富を得ることは多くあります。一方、正しく生きる者が被害を受け、損をし、不利な状況に置かれ、認められないことも多いです。社会では、そのようなことをあまりにも多く見ることができます。
 それでも、神様の慈しみはいつも神様に従う正しい者とともにある、と言っています。絶望状態でも、その後には神様の慈しみがもっと大きくあらわれるようになるのです。なぜ、そう言えるのでしょうか。神様は、ご自分の民を守り、祝福してくださるからです。詩篇94:14。イエス様によって罪と滅びから救われた者は、神様が味方だからです。ローマ8:31。主の民は、一時的な状況で右往左往しません。
 ダビデは、ドエグの告げ口で祭司たちとノブの町がひどい目にあったことを自分の責任だ、と言っています。Tサムエル22:22。ノブの町の祭司は、ダビデを助けたために惨殺されました。ダビデは、それをドエグが見ていたのを知っていて、ドエグはサウル王に告げ口するだろうと思っていたのです。ただ、まさかあのような残酷なことまでするとは予想しなかったから、そのままにしておいたのです。それで、ダビデは、祭司たちが惨殺されたのは自分の責任だと言ったのです。
 祭司たちの悲劇は、命じたサウル王と手を下したドエグの責任です。肉と欲の原理で生きる人は、自分の責任のことでも人のせいにして、人の成果でもあたかも自分がしたように主張するものです。ダビデのように、間接的に関係があるだけなのに、その事件は自分のせいだと言うのは中々できません。これは、勇気のいることです。そんな立場に立たされるかもしれないし、ひどい目に会う恐れもあります。

U−欺く者の欺きの舌、破壊的な舌−2〜4
 祭司たちの惨殺を引き起こしたのは、ドエグの告げ口、讒言です。それで、ドエグの舌が強調されています。2~4節。人々の悪い計略は、その舌を通して出て来るものです。マタイ15:18~19。悪者の言葉は、人の心を刺します。それは、鋭い刃物、剃刀のようだと描写されています。悪者の舌は、直接間接に、聖徒たちを攻撃します。
 まず、直接攻撃をします。神の民の間違いを細かく覚えておいて、それをすべて悪く取って攻撃するというやり方をするものです。それも、弁明したりする機会を与えないで、自分が悪いと思わせ、自分を責めるようにさせるのです。これは、サタンが聖徒たちを打ち倒す時によく使う手段です。言葉で主の民に直接致命傷を与えるのです。現代はインターネットがそのために使われます。インターネットを通して辛らつな悪口、中傷を浴びせたりします。サタンは情報を通して働くのです。
 ドエグの場合は、恐ろしい間接的方法を取っています。王を動かして、ダビデを攻撃したのです。サウル王は、ダビデに妬みを覚え、嫌い憎んでいる、そのダビデを助けた祭司の行動を知れば、サウル王は怒り、攻撃するに違いない、そうしたら、もう誰もダビデを助ける者もいなくなり、逃げる所もなくなり、ダビデも責任を覚え、落ち込むに違いないと考えたわけです。陰謀をはかり、ダビデを助けた祭司の行為を告げ口したのです。
 ドエグもまた、同じサウル王に仕えた勇士として、ダビデに妬みを持っていたのでしょう。しかし、この時、悪賢いドエグは自分の舌で直接ダビデを攻撃したりはしません。ダビデへの嫉妬でおかしくなっているサウル王の嫉妬心に火をつけようと、サウル王に密告することで、サウル王の権力を用いて、ダビデを窮地に陥れようとしたのです。社会の権力争いでは、このような権謀術数がよく行われています。
 神の民を攻撃する者は、権力者の力を借りてきて、神の民を倒そうとするのです。直接的な中傷や悪口を浴びせることよりはるかに、破滅を図ることができるのです。まさに、悪者の舌は、鋭い刃物に変わって、多くの神の民を倒すようになるのです。サウル王は、ダビデに対する猜疑心のために、精神的な病気になっていました。そこに祭司がダビデを助けたと密告するのは、まるで火に油を注ぐようなものだったのです。妬みや猜疑心は、サタンにつけいれられます。私たちも気をつけなければなりません。
 この事件は、何からの立場に立ち力を持っている人は、私的な訴えを簡単に受け入れてはならなということを教えています。力があり、責任がある者こそ、正しい原理に立たなければなりません。私たちは、自分の肉の思いで判断するのでなく、御言葉の原理、主の御心に判断の基をおいて、人の言葉を聞かなければなりません。バプテスマのヨハネが殺されたのも、ヘロデ王の権力が王妃ヘロデヤの陰謀によって使われたからです。
 とにかく、悪知恵の働くドエグのような者の舌は、「欺きの舌」であり、「ごまかしのことば」を使っています。ドエグの陰謀によって祭司たちを死なせてしまったサウル王は、ますます状態が悪くなりました。サウル王のためにも祭司たちは働き、彼のためにもいけにえをささげ、罪の赦しのとりなしをし、治癒のための祈りをしていた人々でした。その人々がいなくなって、ますます、王は罪に翻弄され、妬みと疑心に振り回され、悪政を行い、結局ペリシテ人に敗北するしかないようになりました。Tサムエル31:1〜6。人は、富や権力のために、人々との争いのために「欺きの舌、ごまかしのことば」を用います。陰謀術数によって一時的な世での成功を手にします。

V−根こそぎにされる者と生い茂る者−5〜9
 このエドグのような者は、まさにサタンの手下です。サタンの使いである蛇が人類の祖先を罪に落したように、ドエグは蛇のような舌を使って陰謀のめぐらし、サウル王の権力を用いて祭司たちを惨殺し、ダビデを窮地に陥れたのです。しかし、神様は、人類を罪に陥れた蛇に「女の子孫が蛇の頭を砕く」言われました。この女の子孫とは、イエス様のことです。イエス様が私たちの身代わりに十字架にかかり、舌禍から私たちを守り、悪をなす者を退けられます。
 悪賢いドエグの成功も、あっという間に崩れてしまいます。5,7節。ドエグのような人の特徴は、神に頼らないで富により頼み、自分の悪知恵に頼りました。結果、サウルの王権がなくなれば、サウルの権力を使っていたエドグも力が振るえなくなります。一時期は成功したかのように見えて、結局は砕かれ、根こぎにされるのです。罪と肉の原理に立って、神様に背を向けているなら、権謀術数を駆使して、一時期成功したかのように見えても、その罪のゆえに倒れてしまうのです。ローマ8:6〜7。
 一方、イエス様を信じる者は、神様の恵みに拠り頼みます。8〜9節。一時的な状況に揺さぶられることなく、世々限りなく、ずっと拠り頼み続けます。私たちは、状況の変化で右往左往したり、神様への信頼が薄れたりしたら、祝福と平安は得られません。本当に世で成功しようとするなら、神様の祝福をいただかなければなりません。神様を自分の味方にするには、御言葉に生きるほかありません。御霊の原理で生きることです。ローマ8:2。
 当初は、悪者が勝っているように見えます。しかし、悪者が戦う相手は、神様です。「神が私たちの味方である」ので、愛と守りを受けます。ローマ8:31。イエス様を信じる者は、福音の恵みで生きることができます。その人生は、まるで地に深く根をおろしたオリーブの木のようです。生ける神の御言葉に潤され、生かされます。一時的な損な不利な状況に振り回されず、神様から力と祝福を待ち望みながら歩みます。ホセア12:6。



詩篇< 52 > 指揮者のために。ダビデのマスキール。エドム人ドエグがサウルのもとに来て、彼に告げて「ダビデがアヒメレクの家に来た」と言ったときに
52:1 なぜ、おまえは悪を誇るのか。勇士よ。神の恵みは、いつも、あるのだ。
52:2 欺く者よ。おまえの舌は破滅を図っている。さながら鋭い刃物のようだ。
52:3 おまえは、善よりも悪を、義を語るよりも偽りを愛している。 セラ
52:4 欺きの舌よ。おまえはあらゆるごまかしのことばを愛している。
52:5 それゆえ、神はおまえを全く打ち砕き、打ち倒し、おまえを幕屋から引き抜かれる。こうして、生ける者の地から、おまえを根こぎにされる。 セラ
52:6 正しい者らは見て、恐れ、彼を笑う。
52:7 「見よ。彼こそは、神を力とせず、おのれの豊かな富にたより、おのれの悪に強がる。」
52:8 しかし、この私は、神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ。私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む。
52:9 私は、とこしえまでも、あなたに感謝します。あなたが、こうしてくださったのですから。私はあなたの聖徒たちの前で、いつくしみ深いあなたの御名を待ち望みます。



Tサムエル22:9 すると、サウルの家来のそばに立っていたエドム人ドエグが答えて言った。「私は、エッサイの子が、ノブのアヒトブの子アヒメレクのところに来たのを見ました。
22:17〜19 ・・・しかし王の家来たちは、【主】の祭司たちに手を出して撃ちかかろうとはしなかった。・・・そこでエドム人ドエグが近寄って、祭司たちに撃ちかかった。・・・

Tサムエル22:22 ダビデはエブヤタルに言った。「私はあの日、エドム人ドエグがあそこにいたので、あれがきっとサウルに知らせると思っていた。私が、あなたの父の家の者全部の死を引き起こしたのだ。

詩篇94:14 まことに、【主】は、ご自分の民を見放さず、ご自分のものである民を、お見捨てになりません。

ローマ8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

マタイ15:18 しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。
15:19 悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです。

創世記3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。

ホセア12:6 あなたはあなたの神に立ち返り、誠実と公義とを守り、絶えずあなたの神を待ち望め。

 
 

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2012年07月07日

本《9月7日16:26加筆》【転載】From WEEKLY PORTION "Black Magic, Blessing and Curse" by Rab. S. Riskin


しばしば大変時に適ったシンクロニシティなメッセージを見つける記事なので毎週読む WEEKLY PORTION"
今週のもその通り。

...《転載(手打ち)》...

PARASHA/BALAK

WEEKLY PORTION

"Black magic, blessings and curses"

By Rabbi S. Riskin



"No Black magic can be effective against Jacob,
and no occult powers against Israel"
- Numbers 23:23




    Who controls the fortune and destiny of nations?  Does the ebb and flow of history turn nondescript, banal and ordinary individuals into great heroic personalities, or do those extraordinary heroes create for themselves the perfect opportunities to demonstrate their courage and heroism?

   Perhaps it is neither history that creates great leaders nor great leaders who creates history, but rather God, the Ruler of the Universe, who plans and controls the various moves of His puppet-pawns on the great earthly chess board in order to provide the end-game which has been His purpose from the beginning of time.

   Or perhaps it is none of the above; perhaps there are certain soothsayers or magicians who know the secret formulae - or the black magic - to manipulate God and change reality to conform to their evil designs. Perhaps history is created by such demonic emissaries from the nether world, forces of darkness and destruction.

   Or perhaps nations rise and fall due to the efforts of more benign, but no less dangerous marketers for financial profit and personal political gain, who seize control of public opinion by painting certain peoples "black" and certain peoples "white," media moguls who understand that the bigger the lie, the greater the credibility.

   I believe that these are precisely the issues being dealt with in this week's supernatural, eerie, comical, lyrical and prophetic portion of Balak. This portion follows the Israelite encampment on the plains of Moab and concludes just after the Israelites begin to behave immorally with the Moabite women. Its narrative style is very different from most of the verses that precede and follow it; indeed, it could be removed from the Book of Numbers without affecting the storyline whatsoever.

   Balaam enters the scene after the Israelites have gone through desert rebellions and reorganizations and finally seem to be succeeding in defeating several of the smaller Canaanite nations and preparing the next generation to enter the Land of Israel. The unmasked question throughout the portion is who or what will ultimately be responsible for success - or lack thereof - of the Israelite nation in history?

   Balak, the king of Moab, is in mortal fear of this new "power" on the block, which defeated the mighty Egyptians and seems to be "licking up everything around them." As the inch closer and closer to Moab and Midian, he convinces the elders of Midian to join him in hiring a voodoo soothsayer, Balaam, to curse and defeat Israel through his magic powers of the occult. Balaam informs them that he. too, is under the power of God, and that even he is not able to curse those who are blessed by God. He cannot even travel with them to observe the Israelites. However, he declines the job offer in such a way as to let his "clients" know that he will nevertheless attempt to manipulate God into allowing Israel to be cursed - and he does succeed in getting God to allow him to accompany the Moabite dignitaries.

   At this point in the narrative, our sages declare that "God leads individuals in the path they wish to follow" - so that if the evil voodoo man has chosen to curse, Israel shall indeed be cursed. But what follows is both comical and at the same time profound. Balaam saddles his donkey to travel with the Moabite king, but suddenly his donkey refuses to proceed, turning aside from the road and into the field. The donkey sees what the voodoo man has missed: God's angel will not allow Balaam to come through; A God’s angel is preventing the donkey from advancing with Balaam and Balak! The donkey then speaks and, in so doing, demonstrates that speech is a gift from God. If God wishes a donkey to speak it will speak; and if God wishes Israel to be blessed, Israel will be blessed. Speech, whether blessings or curses, can only come from God.

   The venal, virulent voodoo man still tries to manipulate God. He and Balak attempt to bribe God with sacrifices to allow for the cursing of the Israelites, but to no avail. Instead, Balaam expresses the most magnificent of blessings:
 

"This is a nation with the ability to dwell alone, 
       which does not have to be counted amongst other nations...
 No black magic can be effective against Israel
                                             and no occult powers against Jacob...

 How goodly are your tents, O Jacob,
                                  your tabernacles, O Israel...
 A star shall go forth from Jacob,

                                                     and a ruling scepter from Israel...
 Israel shall emerge triumphant...
                    in the end, Amalek will be destroyed forever."

 

  "With that, Balaam set out and returned home. Balak also went on his way"(Numbers 24:25). But this is not how the portion concludes. As Chapter 25 opens, the Israelites behave immorally with Moabite women, and a price of the tribe of Simeon publicly fornicates with a Midianite princess. A horrific plague
overtakes the Israelites and Israel seems to be vanquished until Phinehas and eventually Moses punishes the wrongdoers, thereby inspiring national repentance.

   The message is clear. Israel is to be blessed - but only if we serve God (and not idols) and act morally and ethically. Israel's success or lack of success is not dependent on voodoo men, black magic operators, even solely on God's will; it is ultimately dependent on our own moral actions.



Shabbat Shalom
Balak, Numbers 22:2-25:9, is read on July 7.

...《転載終わり》...

 [Numbers 24:3-9]

3    And he took up his discourse and said,

"    The oracle od Balaam the son od Beor, 
      And the oracle of the man whose eye is opened;
 
4    The oracle of him who hears the words of God, 
      Who sees the vision of the Almighty,
      Falling down, yet having his eyes uncovered,

5    How fair are your tents, O Jacob,
      Your dwellings, O Israel!

6 " Like valleys that stretch out,
      Like gardens beside the river,
      Like aloes planted by the LORD, 
      Like cedars beside the waters.

7  "Water shall flow from his buckets, 
      And his seed shall be by many waters,
      And his king shall be higher than Agag, 
      And his kingdom shall be exhalted.
8  "God brings him out of Egypt, 
      He is for him like the horns of the wild ox.
      ..."






ついでに、後半には警告が。
間違うことのない様に、との警告も加えられている、
本物のクリスチャンが間違うと大変な事になります。神様に近く歩む程主の御怒りはテキメン・速効で降りかかりますから(例:アナニアとサピラや旧約ではダビデ王やソロモンやサムソン等々数えきれない例から、『結果』の速さは神の近さなので。本当のクリスチャンが世並みに嘘をつこうとしても効き目が無く余計大変な事になりがちである、と言うのも知られている人には知られていますし、同様に普通の人が幾らしていても問題にならないのに本当に救われたクリスチャンが小さなオイタをすると、大々的な悲劇になり易いので、綱渡りの難易度は主と共に歩むほどに増していくようで、大変な災難になるようです。
反対に、偽物は不信者同様の行為をしていても何も内面の変化すら起こらず、つまり、神に叱られない(=へブル書12章参照)。

追記:勿論、ここに書いた様な事を、単に『傾向として』考える代わりに、あたかも絶対的な方程式の様に『法則化』して邪用し、気にいtらない他人を『裁く』事の無い様にしたいものです。
他人の身に例え何らかの禍などが起こったとしても、その理由を知っているのはただ全能の神様一人です。多くの場合、当人にすらわからない様な事ばかりが人生で起こって来ていますから。
 この手の教えや証は、自分のための警告であって、既に起こった事から、『逆算』はできません。

2012年05月15日

本「神様を厚く取り巻く『雲』(=『神の栄光』の型)は近くには『光』であり、遠くからは『暗やみ』だった」。


この「神の『回りに』暗い雲がある」という学びは、大きな誤解を与えます。

ここや、同じ記事を出した私のbbsは全て《クリスチャン(と誠実な求道者)》専用なので安心して書いてしまいましたが、実際はネット・ストーカーはもとよりその他の非信者も見る事は可能ですし、信者にもまだ新しい信者が居ます。

そうした方々へ補足しますが、神様には一点の暗やみも染みもありません(本1ヨハネ1:5-7)。

神様は光(本ヨハネ9:5黙示録22:5ヨハネ1:1-9ヨハネ8:12 1ペテ2:9;1ヨハネ1:5-7 等)で、
信徒は皆『光の子』(本エペソ5:8;マタイ5:14;1テサ5:5;コロ1:12;等)です。


本ヨハネ9:4-5
「4 私たちは、私たちをつかわされた方のわざを、昼のうちにしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる。
5  わたしは、この世にいる間は、世の光である。」(口語訳)

本黙示録22:5
「もはや夜がない。神である主が彼らをてらされるので、彼らにはともしびの光も太陽もいらない。…」(新改訳)

本ヨハネ1:1-9
「すべての人を照らすまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。…」(新改訳)

本ヨハネ8:12
「イエスはまた彼らに語って言われた。わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。(新改訳)

本マタイ4:16
「暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見…」(新改訳)

本1ペテ2:9
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さった方のみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。」(口語訳)

本1ヨハネ1:5-7
「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。」(新改訳)

本エペソ5:8
「あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩みなさい。」(口語訳)

本マタイ5:14;
「あなたがたは、世の光である。山の上の町は隠れる事が出来ない。」
(口語訳)

本1テサ5:5
「あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者のでもない。」(口語訳)

本コロ1:12
「光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった父なる神に、感謝することである。」(口語訳)


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2012年05月04日

昨日の記事『地上の幕屋…』ホソク1


きのうの記事、『地上の幕屋と本物の天の御座』へ補足する予定の御言葉です、『幕屋/神殿』を、
1, 実際に天にある父なる神の御座を示す『型』、

2, 主イエスご自身の事を示す『型』として、


3, 私たち信徒の在るべき姿としての『型』…

としてある御言葉を書き出す積もりだったのに、

いきなり激しくドロンとしてしまい、全然打てなかった(タイピングがレロレロになってしまう!)(と書こうと思ったらそれはこうして眠たくならずに書ける)ので、
後にします。



ちなみに きのうの記事、『地上の幕屋と本物の天の御座』は、
【クリスチャン(&真剣な求道者)専用記事】です。、それ以外は全く念頭になく、従ってそれ以外に宛てて書いていないので無視してください。 通じていない話を邪推されたりよじ曲げたり誤解されたり意図しない解釈をされて余計な攻撃や非難を受けたくないので…



2012年05月02日

地上の幕屋と本物の天の御座【クリスチャン(&求道者)記事】


この記事、『地上の幕屋と本物の天の御座』は、
【クリスチャン(&真剣な求道者)記事】です。その意図以外に全く念頭になく、従って反キリストの立場の方は無視して下さって宜しいです。
通じていないのに、話を邪推されたりよじ曲げたり誤解されたり意図しない解釈をされて余計な攻撃や非難を受けたくないので…





「旧約聖書には新訳聖書が隠されており、新訳聖書には旧約聖書が現れている。」
または、
「旧約聖書には新訳聖書が内蔵されており、新訳聖書には旧約聖書が具現されている。」

"The Old is the New concealed; and the New is the Old revealed."


という言い方があり、(ヘブル10:7 etc.)、モーゼ5書(=トラの巻物/律法)にはイエスの型であり、また天地のデザインに関してや我々に関する型が旧約中に見つかり、新訳でイエス様が使われた譬と似た機能で解る人々を聴衆として教えてくれる側面がありますが、

その中でも『型』の勉強で基本的なのが、モーゼがシナイ山で神から受けて建てた『幕屋』のデザインがあります。

幕屋のデザインに見る型から多く学べますが、
その幕屋は一つに主イエスご自身ですが《JOHN[ヨハネによる福音書] 2:14-22》、同時に神に似せて創られた我々の在るべきデザインでもあり《First Corinthians[コリント人への第1の手紙] 3:16-17》、また、天の父なる神と人との交わり(天の父なる神からと人から双方のデザイン)《Revelation[ヨハネの黙示録] 15:5》の簡略なパターンを教えてくれる。


後で相応する御言葉を書き足す積もりですが、

至聖所は、実際の天の父なる神の御座の地上に(人間に解る様に)現してくれた『型』=現し得ないその本物の天にある天の父なる神の人間側に対応する位置的モデル《Revelation[ヨハネの黙示録] 15:5》です。が、ある意味で、信者自身の型《First Corinthians[コリント人への第1の手紙] 3:16-17》でもあります。何故なら、御言葉に、私たちは主イエスの聖霊が住む為の神殿(=幕屋/後にソロモン王が幕屋として建てたのが第1のエルサレム神殿)とあり、故にその積もりで借り物の様に敬虔に扱う心がけを教えている。

神殿は、ある研究者達に依る解釈から、正に私たちの身体図として細部・全体共に呼応しています。(私は最近寧ろ御霊の実を養う方へ関心があり、余りシンボルに凝り固まりたくないが。)

故に、こうした意味で使徒達の手紙には、我々が今地上で肉を受けて生きている間は、モーゼの幕屋やソロモンの神殿が地上に於ける天にある実質の影的なものであった通り、我々の肉体も地上で把握出来る(=物質的な)神殿であり、モーゼが幕屋を完成した時に、それが主の言われた通り忠実に建てられた御心に叶ったという印として、その幕屋の一番奥の『至聖所』に神が降り住まわれ、その時火と雲の柱が立ち昇りました。

これは、幕屋が我々の肉体の型として、聖霊が信じた者に宿ると、火と雲の柱として一番奥の心の再生が開始する、経験に当たるのかも知れない。

モーゼがエジプトを去り40年、シナイ山の麓で小さく暮らしていたある日、かん木が燃えているのを見つけて見ていると、火が付いているのに木を燃やしていないのに驚き、近寄ってみようとしたら、天から声があり、「靴を脱ぎなさい。あなたのいま立っている地は聖なる所だからである。」とあります《Exodus/出エジプト記3章》。
これは、モーゼがヘブル人(イスラエル)をエジプトから出し、幕屋を建てる事になる予兆の印で、また、代々(ダビテ王→ソロモン王→ゼルバベル→主イエスの降誕→ペンテコステの日に始まる聖霊の信徒への内住)約束されたエマニュエル=「主我等と共にあります/我等とと共に住まわる主/神」で、御国では型でなくて本当にそれが実物で味わえます。永遠に主イエスの傍で、我々は主イエスが再臨されたら、今はまだ鏡に写す様にしかわからない主が私たちを一瞬の内に変えて下さいます。何故なら、私たちは主を実際に見るからです。《=1 Corinthians/コリント人への第一の手紙 13:12》そして、私たちのすべての涙と病とを拭い去って下さいます。