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2011年10月31日

改訂:ヤコブは信じたから神とレスリング[2011-10-31 01:56:10]

Moved from my other blog @2014-03-02 15:01:03]

【改訂(校正)版】

☆アブラハムの孫ヤコブは、神様の大きさを知っていたから、神様(の御使い)と夜明けまで取っ組み合いのレスリングが出来、目的の祝福が貰えた。-創世記32章24-30☆

某巨大掲示板の集団ストーカーのスレッドによると、某ブログで 『集団ストーカーの』ターゲットが叩かれていて激しいらしかったもので、久しぶりに訪ねてみました。

私には、そこに取り上げられている某信仰スレッドがどこにあるかも、何カテゴリーかもわかりません。私は、訪ねた事がなく、わかりません。また、私なら、余りそういう会話(ネット上であろうとリアルであろうと)に熱心でありませんね〜。

掲示板に書かれてあるのは、形式上正しい説明の様です。ただ、多いのは(この方という意味ではなく)、本当に経験した信仰よりもよりステレオ・タイプだと、パリサイ派的に、正しい答えはマスターしているが…、というタイプの様な印象を与えかねませんので、注意が必要だなとは思いました。

上記で一番多いのは、熱狂派的に自分を死にモノ狂いでガチガチに自主洗脳させてステレオ・タイプの『型』にはめ、窮屈な姿勢から喋る大変さばかりが伝わり、逆効果をきたすタイプでした。まるでその洗脳型信仰から外れたら信仰が無くなるかの様な、無理な姿勢が伝わりかねませんので。正しい答えをマスターして、それをもって信仰に換えるタイプは、珍しくないです。 信仰から正しい答えに導かれるのでなくて…。

本当は、神様とは、出会いに似ていて、その救いの大きさは、私達のいかなる弱さやむら気をも、私達自身が知る前から知っておられ(例=ヨブ記23:10-12;)、「にも関わらず」ご自身のイニシアティブで救いを「プレゼント」してくれる大きな方で(信じれば)、その大きさのせいで、(横の関係はさておいても)上へは、嬉しくて嬉しくて申し訳ない位嬉しくて、それを主のみ前での「謙遜」と「主を何よりも畏れる(「恐れ」でなく)事になるのであって…。

ヤコブは、主(の「御使い」)と夜明けまでレスリングをしました。最後にヤコブは「自分を祝福するまで立ち去らせない!」と言いましたが、これは、神様と大喧嘩している、或いは、執拗に祝福をネダって聞き入れない態度です。多くの信者が、大それた態度と感じ、身震いしそうでしょう。しかし、本当に相手の愛と大きさを「知って」いれば、安心して喧嘩出来ます。 しかも、ヤコブは自分の要求が純粋なものだったと見えて御使い自身(主だったかもしれない)とレスリングをする心があった訳です。神(の御使い)は決して、そんなヤコブを呪われてもおかしくない態度とは言われませんでした。主(の御使い)は、ヤコブを祝福しました。そんなヤコブの信仰(+主の完璧な愛への安心)は、御心にそぐいました。ヤコブは、イスラエルと名付けられて、次の節目へ旅立つことになったのです。

型に自分を押し込んで、そこからポーズがズレたら自分が信仰していなくなるとか、神様が呪うとか、それは、ヤコブ/また、現在の本物の信仰におけるイスラエルの民の、主イエス・キリストを安心して信仰して居るその信仰とは異質なものです。コチコチになるのではなく、信じて救われて嬉しいから、神様に背きたくなくなる…。神様は、唯一私達の隅々まで完全にご存知の全能の主ですが、「にも関わらず」ご自身をそんなアホ化した人類を完璧で決して間違わなく決して変わらない愛の故に、代わりにすべき支払を済まして下さった、大きな神様ですから、安心して信仰します、本当に救われているからです。

どの教会にも、本物のクリスチャンが居ます。私は、その事は絶対的に承知しています。

それと、どの教会が連なれる所かを見つけ、たどり着くのとは、全然別な問題で、帰国後、未だ見つからず、殆ど行けていません。

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