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2012年05月21日

[改訂]ただ信仰の一歩一歩だそうです

…神様はどんな中でも私たちの心に近い、そういう時の喜びは悲しみの果実。
近い、そして、この悲しみで痛む心はわざと変えたり無視したり軽くしようとしないで欲しい様です。その悲しみの原因側の方向を心を変えずに向き続けて居る方が御心…見える効果は何なのか解らないけれど、また信仰の歩みでそうします。
結果どうなるか、全く示されない支持です。
ただ、そのまま向いて居なさい、悲しくても…らしい。
そうしたら、私はイエス様にも心が一番近く、主の愛と信仰と希望(1コリント13:13)が溢れた!主の「はいそうですよ」という答えの意。
私たちは結果を睨みつけるのではなく、信仰の歩みの一歩一歩を歩むことをもって信仰を主に対して表現し、証し、主への心を示すその過程が主への『讚美の犠牲』…この世の見える事柄を通しての主への対応を示しながら歩むんですって。天に宝が積み上がるように、らしいです…
【ヘブル/Hebrews Ch.11】
1 Now faith is the substance of things hoped for,the evidence of things not seen.
4 By faith Abel offered unto God a more excellent sacrifice than Cain… 5 By faith Enoch…


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